「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の謎

作品を読んでからお読みください

緑川の話の意味

 

 この作品は主人公の恋人である沙羅に導かれて、それぞれの個人の表面には出ていない部分が明らかになっていく話と思って読んだので、大まかにはそれに沿った解釈をしました。つくるの高校時代の友人たちにそれまでとは別の側面があったり、沙羅に中年男性の恋人がいたり、というように登場人物たちの見えなかった側面が見えてくる物語だからです。

 作品の中では色々な謎が出てきて、物語が進むにつれて、多くのことが明らかになってきます。なぜつくるがグループから排除されたのか、シロはなぜ死んだのかなどは概ね物語で明かされています。

 

 私としては、緑川の話は何なのか、なぜ灰田は突然消えたのかなどの部分には様々な解釈の余地があると思います。まず引っかかるその点について考えてみました。

 問い:灰田の緑川の話は物語上どのような意味を持つか

 緑川は小さな袋(六本目の指の骨と思われる)を置いてピアノを弾いた後、灰田の父に他人の色と光(「真実の情景」)が見える能力を引き継いだ話をしました。灰田の父には能力自体は渡されませんでしたが、緑川は「君は遅かれ早かれ、この話を信じることになる」と、必ずその「真の論理」を理解するだろうと言います。その話をすることによって「種子を蒔いた」のだと。その話は、灰田の父から灰田へ、灰田からつくるへと伝えられます。つくるにも確実に種子が蒔かれていると考えられます。

 緑川は六本目の指を持っており、六本目の指を持つ人は「呪術師」としての役割を持つ場合があると作中にもある通り、灰田の父にある種の呪いをかけ、それが「何らかの形で」灰田からつくるへと伝えられてきているとも言えます。この呪いは良いようにも悪いようにもなると考えます。

 その種子が芽を出した時、「真実の情景」を目にすることになります。真実の情景とは、これまで隠されていた心の側面なのでしょう。真実の情景は夢に現れ、灰田はつくるの夢に入り、つくるは灰田の隠されていた側面を見てしまう。そのように考えれば、灰田が姿を消したことも辻褄が合うように思います。もしその時に灰田と話し合えていれば、灰田との関係は続けられたのかもしれません。

 答え:つくるは真実の情景を見る呪いがかけられる

このブログを書くにあたって

先日友人より、古上織 蛍さんの

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。(感想・考察・謎解き) (ネタバレあり)

が面白いとお薦めがあり、

改めて「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んでみたところ、私としては全体的にまた違う読み方をしていて、いろいろと考えるところがありましたので文章にして見ました。